暗峠の・・・石畳み・・・生駒側から・・・(´◉◞౪◟◉)

Category: 日常の記録  

暗峠の石畳です・・・§^。^§
石畳2
石畳1
暗越奈良街道にまだ多くの人が歩いていた時代には
この場所には旅籠もあったらしい
いまは農家の集落になっている
時の移ろいを感じる
かつてこの場所をどのくらいの人が通ったのだろう。
松尾芭蕉はこの道を歩いた人のひとりである。
峠の集落・暗峠・暗越奈良街道 ・棚田と集落との間の細い道を通る
この道は暗越奈良街道であり
国道308号線である
そして酷道としても知られている
様々な思いがこの道を通っている

(http://www42.tok2.com/home/kansaikanko/kaido/kuraga2/kuraga14.html)抜粋
標識②
標識③
標識①
標識②
隣は奈良の生駒・・・隣は東大阪
道路がコンクリート製から石畳に変わる
暗越奈良街道は大坂と奈良を最短距離で結ぶ主要な街道である
分類としては脇往還になるが・・・通行量の多い街道にはかわりない
暗峠・石畳の峠道・暗越奈良街道 そのために雨が降っている時や雨上がり
街道がぬかるんで滑らないように
大和郡山藩・・・柳沢家が石畳を敷いた
その石畳が今でも残っているのである

(http://www42.tok2.com/home/kansaikanko/kaido/kuraga2/kuraga14.html)抜粋

郡山藩(こおりやまはん)
大和国に存在した藩
藩庁は郡山城(奈良県大和郡山市)に置かれた


柳沢家
将軍徳川吉宗期の享保9年(1724年)
享保の改革における幕府直轄領拡大に際して
甲斐国甲府藩から柳沢吉里が15万1000石で入る
以降明治維新まで柳沢氏6代の支配を経ることになる
2代信鴻、・代保光は名君の誉れ高く
治世の安定・文武の興隆・殖産事業の発展に努めた
畿内の雄藩として禁裏の守護や京都・奈良の防火活動などを行った
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府軍に加わり、
北地方まで転戦した
明治4年(1871年)・・・廃藩置県により郡山県となり
のち奈良県・奈良府・堺県・大阪府を経て
再び奈良県が分離された
最後の藩主となった柳沢家は
明治17年(1884年)に伯爵となり・・・華族に列した

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A1%E5%B1%B1%E8%97%A9)抜粋
暗峠から
画面前方の風景・・・東生駒住宅街
東生駒駅(ひがしいこまえき)
奈良県生駒市東生駒一丁目にある
近畿日本鉄道(近鉄)奈良線の駅
副駅名は・・・帝塚山大学前
この駅のホームからは生駒山が一望できる
特に夜になると生駒山を走る生駒ケーブルの灯りが数珠のように連なる

1964年7月23日車両限界を拡幅した新生駒トンネルを開通させ
同区間に20m級大型車両4連が運行されるようになると
従来の生駒駅の設備・用地では列車の折り返し運用をさせることが困難になった
そこで生駒駅の東側約1.2キロメートル付近に
折り返し設備設置可能な新「東生駒」駅を建設したものである
この時に富雄までの線路を南側に付け替え
また東生駒駅付近は嵩上げされている
かつては駅西側を南北にくぐる道路か
小型車時代の線路の構造物を見ることができた
付近には新向谷トンネル(近鉄奈良寄り)もある

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E7%94%9F%E9%A7%92%E9%A7%85)抜粋

 2017_05_31


Comments


 管理者にだけ表示を許可する


08  « 2017_09 »  10

SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

可愛い時計・・・!!
今何時かな・・・??

季節の❀時計です
カーソルを動かして色々な花を楽しんで

検索フォーム




.