川中島合戦の・・・大凧

Category: 日常の記録  

DSCN6289.jpg
知り合いに【川中島の戦い】の大凧を頂く・・・ 
取りあえず・・・床の間に置きます・・・♥♥♥

中島の戦い(かわなかじまのたたかい)
日本の戦国時代に
甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である武田信玄(武田晴信)と
越後国(現在の新潟県)の戦国大名である上杉謙信(長尾景虎)との間で
北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦いをいう
最大の激戦となった第四次の戦いが千曲川と犀川が合流する
三角状の平坦地である川中島(現在の長野県長野市南郊)を中心に行われたことから
その他の場所で行われた戦いも総称として川中島の戦いと呼ばれる

(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84)抜粋

川中島の戦いの主な戦闘は
計5回・・・12年余りに及ぶ
実際に「川中島」で戦闘が行われたのは
第二次の犀川の戦いと第四次のみであり
一般に「川中島の戦い」と言った場合
最大の激戦であった第4次合戦(永禄4年9月9日(1561年10月17日)から10日(18日))を指すことが多く
一連の戦いを甲越対決として区別する概念もある(柴辻俊六による)
1.第一次合戦:天文22年(1553年)
2.第二次合戦:天文24年(1555年)
3.第三次合戦:弘治3年(1557年)
4.第四次合戦:永禄4年(1561年)
5.第五次合戦:永禄7年(1564年)

戦いは・・・杉氏側が北信濃の与力豪族領の奪回を
武田氏側が北信濃の攻略を目的とした
武田氏の支配地は着実に北上している
なお、上記の「五回説」が現在では一般的であるが
異説も存在する
特に明治期には田中義成が軍記物の信憑性を否定し
上記第二次と第四次のみを確実とする「二回説」を提唱した。
929年には渡辺世祐がはじめて五戦説を提唱し
戦後には小林計一郎以来この五回説が支持されている
二回説は直接両軍が交戦した二回までは記録が残っているが
他の戦いは交戦を避けたりしている場合が多いため
1932年の北村建信ら「二回説」を主張する研究者の理屈にも
一定の説得力があるといえるが・・・一般的とは言いがたい
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84)抜粋

歴史に興味を持つことは・・・
とても楽しい事です

楽しく思える内に・・・
もっと学習したいと思っています・・・
今年の目標かな・・・??


 2017_01_26


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