朝靄に霞む生駒山
朝靄に霞む・・・生駒山・・・

靄(もや、英: mist)とは
霧と同様に空気中の水蒸気が凝結して
細かい水滴となり浮かんでいて
視程が妨げられている状態であるが
霧よりも薄いものを指す
日本式の分類では視程が1km未満のものが霧
1km以上10km未満のものが靄である

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%84)参照
川で遊ぶ「カルガモ一家」
川面で遊ぶ・・・カルガモ一家・・・(@_@;)
苗床で遊ぶ「カルガモ一家」
此方は・・・苗床で遊ぶ・・・カルガモ一家・・・(@_@;)
湖沼・河川などに生息し
冬季になると海洋にも生息する
日本では1984年以降
数年間に渡って東京都千代田区大手町にある
三井物産ビルのプラザ池から皇居和田倉堀へ
引っ越す本種の親子をメディアが取り上げ
ブームとなったことがある
2013年現在においても
同社では同池に営巣する本種を観察し
それを記録するためのカルガモレディなる女性を雇用している
日本のカルガモはアヒルとの種間雑種が
存在しているとされる
アヒルの原種はマガモであり
3代も野生で放置されると飛翔するほどになるが
日本のカルガモもアヒルと交雑することで
元々は狩猟の対象であり
ヒトを恐れていたはずのカルガモも前述のような
ヒトを恐れない行動をとるようになっていったと考えられている
照明の多い都市部では夜間に飛翔する個体もある

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A2#cite_note-fn4-6)抜粋
耐震の鉄骨
逆光で分かりにくいですが・・・耐震の為の鉄骨です・・・(@_@;)

耐震(たいしん)
建築構造物や土木構造物が地震に対して
主要な構造体そのものの強度や
靭性を向上させることで破壊や損傷を防ぐことをさす
目的は同じだが類似の用語の制震や免震とは区別される

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%90%E9%9C%87)参照
駅のホームに取り付けられています・・・

我が街の駅は・・・耐震が出来ていないので・・・
補強の鉄骨が。。。この度取り付けられて・・・


 《 朝のWalkingの折は・・・色々と目にします・・・
綺麗な空気の中・・・とても新鮮な気分で歩けますよ。。。 

 2017_06_30



南瓜の花
南瓜(かぼちゃ)の花が咲きました・・・
これから実になり・・・大きくなって・・・
収穫が楽しみそう・・・
南瓜は女性の好物・・・?

カボチャ(南瓜、英: pumpkin、米: squash)
ウリ科カボチャ属に属する果菜の総称である
原産は南北アメリカ大陸
主要生産地は中国・インド・ウクライナ・アフリカ
果実を食用とし・・・」ビタミンA・ビタミンC・ビタミンE
などのビタミン類を多く含む緑黄色野菜

日本語における呼称は
この果菜が国外から渡来したことに関連するものが多い
一般にはポルトガル語由来であるとされ
通説として「カンボジア」を意味する Camboja (カンボジャ)の転訛であるとされる
方言では「ぼうぶら」「ボーボラ」などの名を用いる地方もあり
これはやはりポルトガル語で
「カボチャ」や「ウリ類」を意味する abóbora (アボボラ)に由来するとされる
ほかに「唐茄子(とうなす)」「南京(なんきん)」などの名もある。
漢字表記「南瓜」は中国語: 南瓜 (ナングァ; nánguā)によるもの
英名は pumpkin (パンプキン)であると理解されている場合が少なくないが
実際には・・・少なくとも北米では
果皮がオレンジ色の種類のみが pumpkin であり
その他のカボチャ類は全て squash (スクウォッシュ)と総称される
したがって日本のカボチャは・・・kabocha squash (カボチャ・スクウォッシュ)などと呼ばれている

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9C%E3%83%81%E3%83%A3)抜粋
 2017_06_29



標識
亀の瀬地すべり(かめのせじすべり)とは
大阪府柏原市峠地区・雁多尾畑地区一帯で
過去に起こった地すべりのこと
特に1931年(昭和6年)から翌年にかけて起こった地すべりは
規模・被害が大きくなったことで知られる

亀の瀬④
柏原市峠地区の大半と雁多尾畑地区の一部(トメショ山から
清水谷地区あたり)では一帯古くからたびたび地すべりが起こっていた
明治以前に関しては記録は残っていないものの
過去の調査から4万年前より以前からあったと考えられている
明治以降では主に1903年(明治36年)・1931・1932年(昭和6・7年)
1967年(昭和42年)に発生している

(http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E4%BA%80%E3%81%AE%E7%80%AC%E5%9C%B0%E3%81%99%E3%81%B9%E3%82%8A_%E4%BA%80%E3%81%AE%E7%80%AC%E5%9C%B0%E3%81%99%E3%81%B9%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81)参照
亀の瀬① 亀の瀬②
亀の瀬③ 亀の瀬⑤
現在・・・地すべりを起こした斜面の崩落を防ぐために
対策事業を行っている

1959年(昭和34年)10月
地すべり防止区域に指定され
さらには1962年(昭和37年)に直轄施工区域に指定され
直轄工事が開始された
ひとたび地すべりが発生すると川がせき止められ
二次災害に繋がりかねないため
国土交通省近畿地方整備局 大和川河川事務所
管轄のもと・・・大規模な対策事業と監視活動がおこなわれている
内容としては・・・
峠地区を中心に6つの排水トンネル
26基の集水井および多数の排水口による
表面排水路・暗渠排水路が整備され
粘土層の含水量を抑制する対策が行われた
また・・・約300本にのぼる鋼管杭の設置などが行われ
地すべり滑動を抑制する対策が行われた
なお・・・対策地域内に「亀の瀬地すべり資料室」が設置され
亀の瀬地すべりに関する資料の展示
対策地域の設備の見学会等が行われ
啓蒙活動が行われている

(http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E4%BA%80%E3%81%AE%E7%80%AC%E5%9C%B0%E3%81%99%E3%81%B9%E3%82%8A_%E4%BA%80%E3%81%AE%E7%80%AC%E5%9C%B0%E3%81%99%E3%81%B9%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81)参照
亀の瀬橋標識
新亀の瀬橋
【亀の瀬峡谷】
大和川の流れは急で
国道25号線やJR関西線が 寄り添うように通っています
昔の人は・・・このあたりの流れを愛して
「亀の瀬川」 と名付けました
川の中の岩石が亀の遊ぶ姿に似ているところから
亀の瀬川といったのだと昔の本 に書かれているそうです
(かしわらの史跡上より)
亀ノ瀬トンネル(かめのせトンネル)は
かつて日本の国有鉄道(運営事業体は鉄道庁→鉄道省と数度変化)
関西本線の河内堅上駅 - 王寺駅(現在では三郷駅)間に存在した
全長下り線699m・上り線703.5mの鉄道トンネルである

(http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E4%BA%80%E3%83%8E%E7%80%AC%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB)参照

筆者の私見
実家に車で行く時に必ず通る所です・・・
山が動くとも聞いています・・・
此処の工事は終わる事が無いみたいです・・・\(◎o◎)/!

 2017_06_28



八重の朝顔
八重の朝顔です・・・
朝顔とハイビスカス
ハイビスカス & アサガオ
アサガオ(朝顔、学名: Ipomoea ni 英: Morning glory)
ヒルガオ科サツマイモ属の一年性植物
日本で最も発達した園芸植物
古典園芸植物のひとつでもある
中国語で牽牛(簡)
日本では「蕣」の漢字も当てられる

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%82%AC%E3%82%AA)参照
ハイビスカス
アオイ目アオイ科の下位分類たるフヨウ属 Hibiscusのこと
また・・・そこに含まれる植物の総称

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%93%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%82%B9)参照
大葉「シソの葉」
大葉・・・大きくなっています・・・\(◎o◎)/!
これからの季節・・・ちょっとした・・・付け合せに・・・
シソ(紫蘇、学名:Perilla frutescens var. crispa)
シソ科シソ属の植物
かつてはエゴマをこれと同属異種の植物(P. ocymoides)と分離したが
現在の遺伝子学研究で両者を同種「ペリラ・フルテスケンス(Perilla frutescens)」の変種とすることが確定している。
なお、シソには品種が多く、それらの総称を「広義のシソ」
基本品種である P. frutescens var. crispa f. crispa (チリメンジソ)や
代表的な品種であるアカジソ P. frutescens var. crispa f. purpurea を
「狭義のシソ」という場合がある

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%BD)抜粋
可憐な花❀三昧
こんな写真も撮ってみました・・・
ちょっと編集にこって見ました・・・

今日は・・・花三昧の写真です・・・如何でしたか・・・??

 2017_06_27



高山城跡
生駒市高山にあります・・・
高山を司った豪族の・・・\(◎o◎)/!
標高218m・・・比高差約40mの山城です・・・規模約110×100m(城は残っていません)
郭(くるわ)・土塁(るい)・土橋などが確認され・・・

山上に二股になった60m×70mの平場が主郭(しゅかく)として残っています・・・??
鷹山氏の居城と伝えられています・・・
高山城址一党墓所
高山を司った豪族の・・・\(◎o◎)/!
一族の墓所です・・・\(◎o◎)/!
標高218m・・・比高差約40mの山城です・・・規模約110×100m
城は残っていません)
郭(くるわ)・土塁(るい)・土橋などが確認され・・・
山上に二股になった60m×70mの平場が主郭(しゅかく)として残っています・・・??
鷹山氏の居城と伝えられています・・・

お城のデータ
所在地: 奈良県生駒市高山町庄田字城茶屋
遺 構: 曲輪、土塁、土橋
形 式: 山城 築城者: 高山氏
築城年代: 室町時代

高山城は・・・道路地図にも「高山城址」と記載されているにも関わらず
現地を訪れてみると・・・城の場所はおおよそ特定できるが
道標ひとつ立てられていない
登城口から約10分ほどで土塁を伴う小郭があり
この曲輪からから北に進むと貯水場のある曲輪
更にその北側に2つの曲輪があり
上の曲輪が主郭だ
主郭北面には高さ1m程の土塁が残っている
主郭から西南に残る土橋を渡った所にも曲輪があり
この曲輪には九頭竜神が祀られている
ここでやっと「高山城」の案内板を発見して
ここが高山城であることが確認できた

高山城は・・・室町時代に奈良興福寺一乗院方衆徒高山(鷹山)氏によって築かれた
この城の歴史はあまり詳しく伝わっていないが
城主高山氏は・・・応仁の乱から戦国時代には越智・古市氏に属している
天文13年・・・筒井氏の柳生城攻めには
筒井氏に従って参陣しているが
後の筒井城主筒井順慶と信貴山城主松永久秀の抗争では
松永氏に従っている

(http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/yamatotakayama.htm)参照

筆者の私見
  歴史を紐解く事は・・・とても楽しい事です・・・
  自分も・・・その時代に・・・立ち返って・・・??
  色々の事を・・・考える事が出来ますよね・・・
地元の事は余り知ろうと思わなかったですが・・・
知りかけると・・・とても面白いことが一杯・・・!!

時間があるとき・・・もっと知りたいと思いますね 

 2017_06_26



平群からの生駒山②
店舗駐車場から生駒山を・・・
朝早いので・・・うすぼんやりとしか・・・生駒山が見えていませんね
矢田丘陵の雲海
未だ・・・矢田丘陵に・・・雲海が架かっています・・・??
平群からの矢田丘陵②
暫くすると・・・晴れて来ました
平群からの矢田丘陵② 平群からの矢田丘陵① 平群からの生駒山①
何時もと違って・・・今日は平群方面から・・・パチリ

平群町(へぐりちょう)
奈良県西北部に位置する生駒郡の町
西は生駒山地・信貴山、東は矢田丘陵に囲まれた山間の小平野である
竜田川が南流して大和川に注ぐ
面積: 23.90 km² (9.228 平方マイル)
人口: 2.042 万 (2003)

(http://www.bing.com/search?q=%E5%B9%B3%E7%BE%A4&form=PRJPJA&pc=WLEM&pq=%E5%B9%B3%E7%BE%A4&sc=8-2&sp=-1&qs=n&sk=)参照

これから・・・暫くは・・・梅雨空かな・・・??
今年は・・・雨が降らなかったから・・・☔☔☔

 2017_06_25



金勝寺本堂です
金勝寺(本堂)
室町以前から有った古寺(真言宗大覚寺派) 万歳山 「 金勝寺 」です・・・
春日権現記に、正安3年(1301)に賊が入り・・・
神鏡などが盗まれたそうです。。。
その後見つかり・・・
金勝寺に移されたそうです。。。

金勝寺(鐘つき堂)
金勝寺にある・・・鐘つき堂です・・・
下から見上げて撮った写真ですので・・・
ちょっと不細工に・・・??
家の近くにこんな歴史に有名な処が有るのを・・・
再認識しました\(◎o◎)/!

鐘楼(しょうろう、しゅろう)とは
寺院内にあって梵鐘を吊し
時を告げる施設
鐘つき堂・鐘楼堂とも言う
「鐘楼」の語は・・・キリスト教の建物(教会堂、礼拝堂)において
同様の機能を果たす施設を指しても用いられる

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%90%98%E6%A5%BC)参照

金勝寺の歴史を紐解くには
  • 金勝寺で検索してください.・・・..

    暑い中の・・・歴史の勉強・・・楽しかったです・・・👀👀👀  
  •  2017_06_24



    金勝寺(全景)
    金勝寺(きんしょうじ)(奈良県生駒群平群町椣原53) にある・・・
    行基が天平十八年(746)に聖武天皇の勅をうけ開基した。。。
    古刹 金勝寺磨崖仏 は・・・
    (町指定文化財、鎌倉時代後期~江戸時代前期) に指定・・・・・・されています!!
    本堂より奥の岩壁に14体の磨崖仏 ・・・があります・・・

    近鉄生駒線・元山上口駅の直ぐ手前
    竜田川の櫟原橋(いちはらばし)から上流を見ると
    切り立った岩が川中にあり・・・見事な渓谷です
    右上に国道168号線が見えます
    ここを通って金勝寺へ向かいます
    現在は上流から下流まで竜田川と呼ばれるが
    昔は上流から生駒川・平群川・竜田川と呼はれていて
    そのうちこの地の平群川だけ・・・岩場の渓谷になっているとのことです

    (http://blogs.yahoo.co.jp/teravist/29888672.html)参照

    縁起・歴史
    当山は竜田川に迫る薬師山の麗にあり
    当地には竜田川に住む龍神を祀る信仰が古くからありました
    寺伝によれば行基菩薩が天平18年(746年)
    聖武天皇の勅命を賜り・・・境内四丁四方・寺領七百石・金堂
    大講堂・阿弥陀堂・護摩堂・三重塔・食堂
    その他塔頭坊舎三十六ヶ坊等の一大伽藍が建立されたと伝わっております
    鎌倉時代は皇室領となり
    後白河法皇の荘園となった時期もありました
    永禄二年(1559年)・・・松永弾正久秀の焼き討ちに遭い
    ことごとくの建造物を焼失した
    筒井順慶・石田三成に仕えた戦国武将島左近一族の支援や信仰厚い村の人々の協力もあり
    本堂・阿弥陀堂・坊舎六ヶ坊等を復興しましたが
    文政年間に五ヶ坊が廃絶し・・・現在は真言院「桜の坊」のみが残っております

    (http://blogs.yahoo.co.jp/teravist/29888672.html)参照

    裏手の岩壁に残る磨崖仏(まがいぶつ)
    金勝寺「磨崖仏」
    行基菩薩の創建と伝えられる古寺です・・・
    本坊等は復元されています\(◎o◎)/!
    裏手の岩壁に残る磨崖仏(まがいぶつ)は。。。
    鎌倉~江戸時代初期のものです・・・
    歴史がありますね\(◎o◎)/!
    近くにあるので・・・
    案外と行きませんね・・・??

    磨崖仏(まがいぶつ)
    そそり立つ岩壁や岩壁を龕状に彫った内側に刻まれるなど
    自然の岩壁や露岩・あるいは転石に造立された仏像を指す
    切り出された石を素材に造立された石仏(独立石仏)は移動することが可能であるが
    磨崖仏は自然の岩壁などに造立されているため移動することができない
    日本の磨崖仏の造立開始時期は平安時代初期までさかのぼると言われ
    狛坂寺址の三尊磨崖仏(滋賀県栗東市)は最初期の事例とされている
    平安時代前期から後期に移行すると
    各地に多くの磨崖仏が盛んに造立されるようになり
    分布は九州地方・近畿地方・関東地方・北陸地方・東北地方に広がった
    中でも大分県には全国の磨崖仏の6~7割が集中していると言われる

    (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%A8%E5%B4%96%E4%BB%8F}抜粋

    明日も続きます・・・👀👀👀

    是非ご訪問ください・・・
     2017_06_23



    あ!!蝶々が・・・!!
    道端にひっそりと咲く草花に・・・
    蝶々が停まって・・・
    瞬間の事でしたが・・・
    上手く撮れました・・・
    とても可愛いです!!

    お地蔵さん
    地域に一つある「お地蔵さん」です・・・
    散歩の時には・・・
    前を通ります・・・
    地域の皆の安全を祈願して・・・

    地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
    仏教の信仰対象である菩薩の一尊
    サンスクリット語ではクシティ・ガルバ(क्षितिघर्भ [Kṣiti garbha])と言う
    クシティは「大地」・ガルバは「胎内」「子宮」の意味で
    意訳して「地蔵」としている
    また持地・妙憧・無辺心とも訳される
    三昧耶形は如意宝珠と幢幡(竿の先に吹き流しを付けた荘厳具)・錫杖・種子(種子字)はカ (ha)
    大地が全ての命を育む力を蔵するように
    苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み
    救う所から名付けられたとされる
    日本における民間信仰では道祖神としての性格を持つと共に
    「子供の守り神」として信じられており
    よく子供が喜ぶ菓子が供えられている
    一般的に・・・親しみを込めて「お地蔵さん」・「お地蔵様」と呼ばれる
    (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A9)抜粋



     2017_06_22



    奈良駅前「行基像」
     近鉄奈良駅前の行基菩薩像が建っている広場です・・・
    新たな屋根の設置も終わり・・・待ち合わせのスポットなどとして利用されています・・・
     行基菩薩像は・・・
    もとは赤膚(あかはだ)焼製だったが今はブロンズ製となっています・・・
    43年前に建立され物・・・\(◎o◎)/!
    心ない人に壊され・・・
    平成7年にブロンズ像で復元されました・・・
    現在は・・・台座のみが赤膚焼です・・・
    噴水の水は涼を誘います・・・

    行基(ぎょうき/ぎょうぎ・天智天皇7年(668年) - 天平21年2月2日(749年2月23日)
    奈良時代の日本の僧・生年については・・・677年4月する説もある
    僧侶を国家機関と朝廷が定め仏教の民衆への布教活動を禁じた時代に
    禁を破り畿内(近畿)を中心に民衆や豪族など階層を問わず
    広く仏法の教えを説き人々より篤く崇敬された
    また・・・道場や寺院を多く建立しただけでなく
    溜池15窪・溝と堀9筋・架橋6所・困窮者のための
    布施屋9所等の設立など数々の社会事業を各地で成し遂げた
    朝廷からは度々弾圧や禁圧されたが
    民衆の圧倒的な支持を得てその力を結集して逆境を跳ね返した
    その後・・・大僧正(最高位である大僧正の位は行基が
    日本で最初)として聖武天皇により
    奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘された
    この功績により東大寺の「四聖」の一人に数えられている

    (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%9F%BA)抜粋

     2017_06_21




    05  « 2017_06 »  07

    SUN MON TUE WED THU FRI SAT
    - - - - 1 2 3
    4 5 6 7 8 9 10
    11 12 13 14 15 16 17
    18 19 20 21 22 23 24
    25 26 27 28 29 30 -

    可愛い時計・・・!!
    今何時かな・・・??

    季節の❀時計です
    カーソルを動かして色々な花を楽しんで

    検索フォーム




    .