今日は・・・可憐な・・・花々・・・🌸🌸🌸

八重の朝顔
八重の朝顔です・・・
朝顔とハイビスカス
ハイビスカス & アサガオ
アサガオ(朝顔、学名: Ipomoea ni 英: Morning glory)
ヒルガオ科サツマイモ属の一年性植物
日本で最も発達した園芸植物
古典園芸植物のひとつでもある
中国語で牽牛(簡)
日本では「蕣」の漢字も当てられる

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%82%AC%E3%82%AA)参照
ハイビスカス
アオイ目アオイ科の下位分類たるフヨウ属 Hibiscusのこと
また・・・そこに含まれる植物の総称

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%93%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%82%B9)参照
大葉「シソの葉」
大葉・・・大きくなっています・・・\(◎o◎)/!
これからの季節・・・ちょっとした・・・付け合せに・・・
シソ(紫蘇、学名:Perilla frutescens var. crispa)
シソ科シソ属の植物
かつてはエゴマをこれと同属異種の植物(P. ocymoides)と分離したが
現在の遺伝子学研究で両者を同種「ペリラ・フルテスケンス(Perilla frutescens)」の変種とすることが確定している。
なお、シソには品種が多く、それらの総称を「広義のシソ」
基本品種である P. frutescens var. crispa f. crispa (チリメンジソ)や
代表的な品種であるアカジソ P. frutescens var. crispa f. purpurea を
「狭義のシソ」という場合がある

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%BD)抜粋
可憐な花❀三昧
こんな写真も撮ってみました・・・
ちょっと編集にこって見ました・・・

今日は・・・花三昧の写真です・・・如何でしたか・・・??

高山を司った豪族の史跡

高山城跡
生駒市高山にあります・・・
高山を司った豪族の・・・\(◎o◎)/!
標高218m・・・比高差約40mの山城です・・・規模約110×100m(城は残っていません)
郭(くるわ)・土塁(るい)・土橋などが確認され・・・

山上に二股になった60m×70mの平場が主郭(しゅかく)として残っています・・・??
鷹山氏の居城と伝えられています・・・
高山城址一党墓所
高山を司った豪族の・・・\(◎o◎)/!
一族の墓所です・・・\(◎o◎)/!
標高218m・・・比高差約40mの山城です・・・規模約110×100m
城は残っていません)
郭(くるわ)・土塁(るい)・土橋などが確認され・・・
山上に二股になった60m×70mの平場が主郭(しゅかく)として残っています・・・??
鷹山氏の居城と伝えられています・・・

お城のデータ
所在地: 奈良県生駒市高山町庄田字城茶屋
遺 構: 曲輪、土塁、土橋
形 式: 山城 築城者: 高山氏
築城年代: 室町時代

高山城は・・・道路地図にも「高山城址」と記載されているにも関わらず
現地を訪れてみると・・・城の場所はおおよそ特定できるが
道標ひとつ立てられていない
登城口から約10分ほどで土塁を伴う小郭があり
この曲輪からから北に進むと貯水場のある曲輪
更にその北側に2つの曲輪があり
上の曲輪が主郭だ
主郭北面には高さ1m程の土塁が残っている
主郭から西南に残る土橋を渡った所にも曲輪があり
この曲輪には九頭竜神が祀られている
ここでやっと「高山城」の案内板を発見して
ここが高山城であることが確認できた

高山城は・・・室町時代に奈良興福寺一乗院方衆徒高山(鷹山)氏によって築かれた
この城の歴史はあまり詳しく伝わっていないが
城主高山氏は・・・応仁の乱から戦国時代には越智・古市氏に属している
天文13年・・・筒井氏の柳生城攻めには
筒井氏に従って参陣しているが
後の筒井城主筒井順慶と信貴山城主松永久秀の抗争では
松永氏に従っている

(http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/yamatotakayama.htm)参照

筆者の私見
  歴史を紐解く事は・・・とても楽しい事です・・・
  自分も・・・その時代に・・・立ち返って・・・??
  色々の事を・・・考える事が出来ますよね・・・
地元の事は余り知ろうと思わなかったですが・・・
知りかけると・・・とても面白いことが一杯・・・!!

時間があるとき・・・もっと知りたいと思いますね 

平群の【道の駅】

平群からの生駒山②
店舗駐車場から生駒山を・・・
朝早いので・・・うすぼんやりとしか・・・生駒山が見えていませんね
矢田丘陵の雲海
未だ・・・矢田丘陵に・・・雲海が架かっています・・・??
平群からの矢田丘陵②
暫くすると・・・晴れて来ました
平群からの矢田丘陵② 平群からの矢田丘陵① 平群からの生駒山①
何時もと違って・・・今日は平群方面から・・・パチリ

平群町(へぐりちょう)
奈良県西北部に位置する生駒郡の町
西は生駒山地・信貴山、東は矢田丘陵に囲まれた山間の小平野である
竜田川が南流して大和川に注ぐ
面積: 23.90 km² (9.228 平方マイル)
人口: 2.042 万 (2003)

(http://www.bing.com/search?q=%E5%B9%B3%E7%BE%A4&form=PRJPJA&pc=WLEM&pq=%E5%B9%B3%E7%BE%A4&sc=8-2&sp=-1&qs=n&sk=)参照

これから・・・暫くは・・・梅雨空かな・・・??
今年は・・・雨が降らなかったから・・・☔☔☔

金勝寺本堂と・・・鐘楼

金勝寺本堂です
金勝寺(本堂)
室町以前から有った古寺(真言宗大覚寺派) 万歳山 「 金勝寺 」です・・・
春日権現記に、正安3年(1301)に賊が入り・・・
神鏡などが盗まれたそうです。。。
その後見つかり・・・
金勝寺に移されたそうです。。。

金勝寺(鐘つき堂)
金勝寺にある・・・鐘つき堂です・・・
下から見上げて撮った写真ですので・・・
ちょっと不細工に・・・??
家の近くにこんな歴史に有名な処が有るのを・・・
再認識しました\(◎o◎)/!

鐘楼(しょうろう、しゅろう)とは
寺院内にあって梵鐘を吊し
時を告げる施設
鐘つき堂・鐘楼堂とも言う
「鐘楼」の語は・・・キリスト教の建物(教会堂、礼拝堂)において
同様の機能を果たす施設を指しても用いられる

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%90%98%E6%A5%BC)参照

金勝寺の歴史を紐解くには
  • 金勝寺で検索してください.・・・..

    暑い中の・・・歴史の勉強・・・楽しかったです・・・👀👀👀  
  • 金勝寺本堂と・・・磨崖仏(まがいぶつ)

    金勝寺(全景)
    金勝寺(きんしょうじ)(奈良県生駒群平群町椣原53) にある・・・
    行基が天平十八年(746)に聖武天皇の勅をうけ開基した。。。
    古刹 金勝寺磨崖仏 は・・・
    (町指定文化財、鎌倉時代後期~江戸時代前期) に指定・・・・・・されています!!
    本堂より奥の岩壁に14体の磨崖仏 ・・・があります・・・

    近鉄生駒線・元山上口駅の直ぐ手前
    竜田川の櫟原橋(いちはらばし)から上流を見ると
    切り立った岩が川中にあり・・・見事な渓谷です
    右上に国道168号線が見えます
    ここを通って金勝寺へ向かいます
    現在は上流から下流まで竜田川と呼ばれるが
    昔は上流から生駒川・平群川・竜田川と呼はれていて
    そのうちこの地の平群川だけ・・・岩場の渓谷になっているとのことです

    (http://blogs.yahoo.co.jp/teravist/29888672.html)参照

    縁起・歴史
    当山は竜田川に迫る薬師山の麗にあり
    当地には竜田川に住む龍神を祀る信仰が古くからありました
    寺伝によれば行基菩薩が天平18年(746年)
    聖武天皇の勅命を賜り・・・境内四丁四方・寺領七百石・金堂
    大講堂・阿弥陀堂・護摩堂・三重塔・食堂
    その他塔頭坊舎三十六ヶ坊等の一大伽藍が建立されたと伝わっております
    鎌倉時代は皇室領となり
    後白河法皇の荘園となった時期もありました
    永禄二年(1559年)・・・松永弾正久秀の焼き討ちに遭い
    ことごとくの建造物を焼失した
    筒井順慶・石田三成に仕えた戦国武将島左近一族の支援や信仰厚い村の人々の協力もあり
    本堂・阿弥陀堂・坊舎六ヶ坊等を復興しましたが
    文政年間に五ヶ坊が廃絶し・・・現在は真言院「桜の坊」のみが残っております

    (http://blogs.yahoo.co.jp/teravist/29888672.html)参照

    裏手の岩壁に残る磨崖仏(まがいぶつ)
    金勝寺「磨崖仏」
    行基菩薩の創建と伝えられる古寺です・・・
    本坊等は復元されています\(◎o◎)/!
    裏手の岩壁に残る磨崖仏(まがいぶつ)は。。。
    鎌倉~江戸時代初期のものです・・・
    歴史がありますね\(◎o◎)/!
    近くにあるので・・・
    案外と行きませんね・・・??

    磨崖仏(まがいぶつ)
    そそり立つ岩壁や岩壁を龕状に彫った内側に刻まれるなど
    自然の岩壁や露岩・あるいは転石に造立された仏像を指す
    切り出された石を素材に造立された石仏(独立石仏)は移動することが可能であるが
    磨崖仏は自然の岩壁などに造立されているため移動することができない
    日本の磨崖仏の造立開始時期は平安時代初期までさかのぼると言われ
    狛坂寺址の三尊磨崖仏(滋賀県栗東市)は最初期の事例とされている
    平安時代前期から後期に移行すると
    各地に多くの磨崖仏が盛んに造立されるようになり
    分布は九州地方・近畿地方・関東地方・北陸地方・東北地方に広がった
    中でも大分県には全国の磨崖仏の6~7割が集中していると言われる

    (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%A8%E5%B4%96%E4%BB%8F}抜粋

    明日も続きます・・・👀👀👀

    是非ご訪問ください・・・
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